銭神澤不動尊縁起
   



恭く惟みるに不動尊の功徳不可量なる事は言を俟たす又妙泉寺
不動奪の名作にして霊験あらたなることも古來普く人の知るとこ
ろなり然るに今不思議の夢想によりて此の尊像の細川家に蹄した
るは実に妙縁と云はさる可からず若し夫れ朝タ恭敬禮拝解らすん
は必すや家業繁樂して子孫長久なると疑ひあるへからす且叉廣く
世人をして所求所願の便を得しむるに於ては其の利益挙げて敷ふ
へからず委曲如是山人の筆に馨くせり老衲の喋々を要せずと云爾

明治壬子晩春

皎月 阿部大環識

 

銭神澤不動尊縁起

如是山人編

●不動尊像の彫刻者

岩手縣岩手郡米内村、字銭神澤岩屋に安置し奉れる大聖不動明
王の尊像は、賓永六年、京都五條の住、禁裏の御佛師田中小平が
一百日の間、精進齋戒を爲して、彫刻の刀を執りたる霊験あらた
なる御佛躰なり。

●小平の幼時と旅僧

佛師小平生れて三歳の時、茶うけの団子を捏ね居たるが、見る

 

に宿る雲水のもにこそ。厚意は深く忝く思へども、滋に宿るべ
からず。但汝等が心の中に慈悲を忘れざらば、我は常に汝が心
に住むべしとて、一符を與へ去り、行方知れずなりぬ。

●小平いよいよ佛像彫刻者と爲る

果せるかな、小平十五歳に及び、別に師を得たるにあらざれど
も、自ら敷多の佛像を彫刻せしかば、人々皆神童とそ呼びなせる。
二十歳の時、發願して大聖不動明王の尊像を製作したるに、其
精巧にして、威霊のこもれる彫刻には、人々皆驚かざるなし。
時に夫妻は、かの旅僭の遺し置きたる一符を披きて、近所なる
修験者に行き讀みもらひたるに、修験者曰く、是れはこれ不動経

見る異様な斗異様なる形像となりしかば、父母之れを不思議のとよと深く
怪み居けり。或る日一人の旅僧ありて、小平の戸外に遊戯せるを見
て、しばし佇み、大に感じ入りたる様子なりけれは、小平の父母
このさまを見、僧に言葉をかはし、に、借云ひける様、此の児の
人相まことに恵心僧都によく似たり。成長の後には。必す多くの
仏像を作らんと。夫妻奇異のことに思ひて、いつぞや彼の団子も
て作れる像のからびたるを出し示したるに、僧つくづく之れを見
て、嗚呼、是れはこれ大聖不動明王の尊像なり、尊きかな尊きか
なとて、幾度も禮拝せり。夫妻不思議のことに思ひて、僧に一泊
を乞ひけるに、僧云ふ。吾が身は俗気に宿るべきものにあらず、
野と云わず、山と言わず、將た樹下と云わず、行きつかれたる處

るを御賞讃遊ばせられて、禁裏の佛師職たらしめらる。

●嶽の不動尊像の由來

かくて、眞言宗大本山醒醐三寶院の宮は、時の天子の御姪に渡
らせ給へば、久遠成正學の本尊にとて、宮にこの尊像をば御寄贈
あらせられたり。
その後、南部領早池峯山の別當職たる稗貫郡大迫郷なる嶽の眞
言宗妙泉寺第三十大世得證法印は、三密瑜伽の修法を得て、道徳
堅固の聞えありしが、遂に三寶院の宮の台聞に達したり。
折から得證は、僧位に就かんが爲め、京都に上り宮に拝謁した
るに、宮の仰せ給ふには、汝修法の聞え高し。今此の大聖不動尊

の眞文なりとて、。佛前に香を焚き燈を點じて之れを誦す。誦し了
りて夫妻に告げて曰く、是れ大聖不動明王が、汝等の家に降臨し
たまひ、小平に大智恵を授け給ひしなりと。之れを聞きて、夫妻
恭敬禮拝喜ぶこと限りなし。

●小平禁裏御佛師となる

此の事誰云ふとなく世間に廣まりて、終に 天聴に達せしかば
畏れ多くも小平の製作を召させらる。小平冥加身に餘り、一百日
の間精進潔齋して、毎旦三百遍づつ不動経を誦し、而して彫刻に
とりかかりたり。かくして不動明王の尊像を彫刻し、以て献上に
及びたるに、天子之れを叡覧ましまし、其の彫刻の精妙非凡な

らず。
然るに、或る夜藤衆郎氏の妻ゆか子の枕邊に不動尊現はれ給ひ
て、向後岩屋に移して、普く一切衆生をして信心参詣するを得し
めよと仰せありて、忽ち消え失せ給ひしかは、不思議の事に思ひ
夫藤次郎氏に其由物語り聞かせたるに、藤次郎氏もまた不思議の
御告事かな、さらば早速其の岩屋を探がし求めて、安置し奉らん
とて、處々方々尋ねさがしたり。たまたま遠野在に岩屋観晋とて
岩窟に観世音菩薩を安置し奉れる處あるを聞き、行きて別當に蓬
ひ事の故よしをよく話して、不動尊の安置を頼みけるに、別當の
云ふには、此處は観世音菩薩のおはします處にて、不動尊を移し
まゐらすこと叶はずと固く拒まれたり。されど外に岩屋と云ふ

像を汝に譲るへき間、汝之れを堂中に安置して、國家の泰平、衆
生の安全を祈祷せよとありければ、得證随喜の涙にむせび、三拝
九拝して宮の御殿を退き、尊像を厨子に納め奉り、自ら負ひて國
に帰り、本堂の中央に安置し、恭敬禮拝祈願怠らざりけり。

●不動尊枕神に立せ給ふ

爾来二百余年の間、此の尊像は嶽の妙泉寺に安置せられて、江
湖の蹄依いと深かりしが、維新の変に際し、故ありて閉伊郡上郷
村なる曹洞宗慶雲寺に移し奉れり。然に同郡遠野町豪農俵田藤次
郎氏は、代々此の不動尊を深く信仰し、?(しばしば)々奇異なる霧験の有り
たれば、慶雲寺に請ひ得て、之れを自宅に安置し、禮拝供養を怠

り奉り、盛岡に往きて細川氏に交渉すべしと去ふにぞ。藤吹郎氏
も其れならば賓に幸なりと、庄次郎氏に萬事を依頼したり。
斯くて庄次郎氏は、自身に尊像を背負ひ奉り、二人の若者に護
護衛せられ、花巻に着し、ここに一夜を宿りて、翌日盛岡に出てん
としけるに、兼ねて嶽の妙泉寺におはしまして、霊験あらたなる
不動尊なるよし聞き奉れる人々は、ぜひに購ひ得て、成田講中一
同の守り本尊となさばやと、色々交渉したれど、不動尊の御告事
もあればとて、人々の切なる望みにそむきて盛岡に出でたり。
それより庄次郎氏は、大清水小路なる綱川店若主人正太郎氏に
面会を求め、有りしことごとも物語りて、尊像引受けの事を交渉に
及びたれど、正太郎氏は何様あまりに突然にて思ひ設けぬことな

處なしとて、其ま其ま我が家の内に安置し奉ることの、誠に恐れ多
けれは、強ひて別當に請ひて、岩屋と去ふ處の見付けらるるまで
此の處に安置し奉ることとせり。

●岩屋に不動尊安置の謂れ

折しも新聞を見れば、盛岡市大清水小路なる綱川正五郎正太郎
父子両氏は、岩手郡米内村字銭神澤の岩谷温泉を譲り受け、此處
に支店を設けて浴場を営むよし有りしかば、是れ即ち不動尊の仰
せ給へるまことの岩屋にこそあらめ。日頃の心願此?(ここ)に成就すべし
と喜び合へり。斯くと聞きける柳田庄次郎と云へる人は、兼ねて
藤次郎氏の切なる心を知れば、我れこそ御身に代りて不動尊を護

●不動奪の露験威騰

抑不動尊の御利益は、広大無遍にして測り知る可からず。一心
に念じ奉る時は、愚痴なるものは大智恵を授かるべく、難病ある
ものは全癒の効を見るべく、狂乱失心せるものは本心に立ち返る
べく、女人難産の恐れあるものは安産を得べく、海上難船の虞れ
なく、水難火災を免るるは勿論、其他一切衆生のあらゆる所願を
叶はせ給ふことは、古来各處に伝はれる霊験に明かなり。
相馬将門の乱は、寛朝大僧正が不動尊に朝敵降伏の祈祷を爲し
たるによりて忽ち平らぎたり。常総軍記に勇将の名を轟かせる荒
海左衛門は、平素不動尊を深く信ぜる御利益によりて、身に十三

れば、速答に及び兼て、一応父正五郎と相談の上に返答すべし
と言ひて分れたり。
正太郎氏は、事の次第を其の父正五郎氏に話し聞かせたるに、
我が家に向かはせ給へる御佛なれば、戻し奉るべきにあらず。早
速引受申して岩屋に安置し奉るべしとあれば、正太郎氏も左なり
とて,庄次郎氏の交渉を容れ、?(處・処)に尊像を引受け奉ることなれり。
然るに、尊像の御丈は殆んど五尺に余れば、正太郎氏の家の内
には安置し難けれは、御堂を建築するまで、其の菩提所なる龍谷
寺に奉安を頼みけり。而して今明治四十五年三月、岩屋の御堂落
成したれば、此處に移し奉りて、普く諸人をして参詣せしむるを
得るに至れり。

も免れたる等、此れに類する感應甚だ多し。

●不動尊の廣大なる御利益

尚不動尊の御利益の廣大無邊なることは、聖無動尊大威怒王秘
密陀罹尼經に委しければ、左に其の一節を掲ぐ。
その時、金剛手三昧より起ちて、妙吉祥菩薩に告げて言ひ
たまはく、大威怒王有り、名づけて、阿利耶、阿闍罹拏多尾地耶
阿羅惹と云ふ。是の大明玉大威力あり、智慧の火を以て諸の障礙
を焼き、亦法水を以て諸の塵垢に漱ぎ、或は大身を現はして虚空
の中に滿て、或は小身を現はして衆生の意に隨ひ、金翅鳥の如く
諸の毒悪を(喰?)ひ、亦大龍の大智雲を興すが如くにして法雨を灑ぎ

ヶ所の深手を負ひ、剰さへ岸山の谷に転び落ちて死したれども、
忽ち息吹返して味方の人々に巡り合へり。道馨上人は,天性愚鈍
にして、學業進み難きを嘆き、曾て不動尊に帰依し、参籠持念す
ること一百日にして、利劔を呑むと覚えしが、その後慧解人に勝
れて、天下の大智識大徳となれり。?(祐)天大僧正は、もと性質痴呆
にて、経文を教へらるると雖も、一字も覚ゆることなかりしが、
是非智慧を授からんことを不動尊に立願し、三七日の間、身命を
懸けて祈請しけるに、満願のタ、大剱をロ中に刺したりと夢みて
終に前代未聞の名僧となれり。斯る霊験数ふるに暇あらず。近<
は本縣遠野町の大火の折、この不動尊を平生深く信心せる俵田藤
次郎氏の家は、猛火の中に包まれたれども、不思議にも類焼の災

繋り縛め、常に天龍八部の爲めに恭敬せらる。若し繍に是の威怒
王を憶念せば、能く一切の障難を作すものをして皆悉く斷じ、一
切の魔衆を壊して敢て親近せざらしむ。常に當に是の修行者所住
の處に遠離して、一百由旬の内にも魔事及び鬼神等有ることなかる
へし。
又曰く
諸の悪怖を遠離して、常に勝安穩を得、求むる所の一切の
事、持するに隨いて成就し得、無傾動を成就して諸の往昔の罪を
焼く。・・
又聖無動尊大威怒王陀羅尼經を受持するものは、横死あること
無く、また恐怖あることなし。諸天の護持を受けて諸の障礙なし

大刀剣の魔軍を摧破するが如く、亦羂索の大力魔を縛するが如く
親友童子の行人に給仕するが如く、其の心驚かずして不動定に住
せしむ。是の大明王其の居る所なし。但衆生の心想の中に住し給
ふ。 ゆゑいかんとなれば、虚空廣き故に世界無遍なり。世界無遍
なるが故に衆生界廣し。衆生界廣きが故に法身體廣し。法身體廣
きが故に法界に偏し。法界に偏きが故に無相を以て體と爲す。無
相にして相有れば、行者の意に隨ひて其の形體を現ず。・・唯
大定智悲を圓滿して具足せざるなし。即ち大定コを以ての故に金
剛磐石に坐じ、犬智徳を以ての故に迦樓羅焔を現じ、大悲徳と以
ての故に種々の相貌を現ず。其の形青黒にして暴惡の相に似たり
智恵の剣を執りて貪瞋癡を害し、或は三味索を持して難伏の者を

●銭神澤岩屋の風景

さて今囘不動尊像を安置し奉れる銭神澤の岩屋には、清列無比なる
御手洗滾々と湧き出て、樹木茂りに茂りて夏?涼しく、實に
最上の浄地なり。前は廣漏?(くわつ)の田畝を隔て、、岩山鉱山の勝を眺め
後は岡巒を負いて、四時鳥聲を聞く。されば、ここに參詣怠らさ
る人は、ただに不動奪の御利益によりて諸願成就を得るのみなら
ず、幽邃の風景、清浄の空氣に觸れて、心身おのづから堅剛とな
り、延命長壽また疑いなかるへしと云爾。

云々。
斯の如くなれば、常に不動尊を信心する人は、其の福無量なり
若し千萬億の悪鬼、行人を?(ぼう)乱する時、よく念誦を爲せば、皆悉
く退散し去らん。若し苦厄の難、咒咀病患等有らんものは、また
須典にして吉祥を得んと云ふ。
南無大日大聖不動明王四大八大諸忿怒尊と念誦怠らざるとき
は、日々夜々作る所の罪、念々歩々起る所の罪は、悉く皆消滅し
命終には決定して極樂に生ぜん。師父母を負荷引導して、生死の
大苦海を拔濟し、我れに恩ある先亡者、有?知識男女等の爲めに
大に方便をなし皆引導し、共に安養上妙の利に生ぜん。

明治四十五年五月三日印刷
明治四十五年五月十五日発行
(非売品)
発行者 細川 正太郎
盛岡市大清水小路十九番戸

印刷者 工藤 倉吉
盛岡市呉服町三十四番戸

印刷所 富士屋印刷所
盛岡市呉服町三十四番戸